悪いのは母親だ。だらしなく適当に毎日を生活している母親に原因がある。それなのに、十代後半特有の一時の気紛れみたいな感情が原因だと言われるのに、美鶴は大きな憤りを感じた。
「お母さんは、いい加減過ぎるんです」
それは綾子にと言うよりも、むしろここにはいない母親に向かって浴びせている。
「物事を真剣に考えたりもせず、いつも適当な事しか口にしないし、気分だけで世渡りしてる。だいたい、自分がマトモに子供を育てられるなんて本気で思っているようには見えない。どうせ私の事だって、適当にしか考えていない」
言葉を吐き出す度に湧く怒り。
「ごはんさえ食べさせておけばなんとか育つだろう、くらいの存在にしか考えていないんです」
「それはひどいわ」
「いいえ、ひどくありません。小さい頃から、いつも家にいる時はぐうたら寝てて、他の親みたいに私にガミガミ言う事もありませんでした」
昔は、そんな母親が好きだった。
裕福ではなくとも、母はいつも明るかった。いつも笑っていた。だから美鶴は母が好きだったし、学校から帰って母を待つ一人の時間も嫌いではなかった。
寂しいと思う時もあったが、その分、母が帰ってくると嬉しかった。母の帰りが待ち遠しくて夜更かしをした事も何度かあった。だが母は、優しく咎めはしても叱咤する事はなかった。
そんな母の存在に疑問を持ったのは、中学二年の冬。
「離婚して私を引き取った時だって、本気で私を一人前に育てようとは思っていなかったはずです。お母さんはそういう人です」
母が悪いのだ。母がもっと私の事を真剣に考えてくれていたら、他の親のように将来を案じて小言の一つも口にしたはずだ。
中学時代の美鶴は、学校の成績もいま一つだった。だが母は、それについてクドクドと言うような事はなかった。高校へは進学させたかったらしいが、優秀な成績などは求めなかった。
母がそんなんだったから、だから自分は、世の中の厳しさや他人の冷たさに気付きもしなかった。
母のぬるま湯のような態度が、美鶴の瞳を曇らせたのだ。美鶴は、自分がどれほど甘い甘いくだらない生活に沈み、他の生徒がどれほど自分を嘲っていたのか、まったく気付きもしなかった。
澤村に振られて、他の生徒に嗤われ、里奈に裏切られたのは、すべて母の責任だ。
「お父さんと一緒だったら、もうちょっとマシな生活が送れていたかもしれないっ」
最後はほとんど叫ぶようにして頭を振っていた。
そんな美鶴を綾子は黙って見つめ、やがて軽く息を吐く。
「だから、お父さんに会いたいんだ」
「お父さんには嫌がられるかもしれない」
そもそも、父は自分を引き取らなかった。離婚の原因だってよくは知らない。ひょっとしたら、今は別の女性と幸せな家庭を築いていて、自分など父にとっては疎ましいだけの存在なのかもしれない。
だが、そうではないのかもしれない。
「父は私になんて、会いたくないのかもしれない。でも、会いたいという自分の意思を伝える事ぐらい、してもいいと思うんです。その権利は私にはあると思うんです」
そんな美鶴の淡い期待を壊さないよう、だが増長もさせぬよう、綾子は慎重に言葉を選ぶ。
「確かに、美鶴ちゃんにはその権利はあると思うわ」
そうして立ち上がり、空になった二つのグラスを手にカウンターへと向かった。二杯目のアップルジュースは美鶴の分だけ。自分の分は、代わりに一つ新しいグラスを出す。
手馴れた手つきで水割りを作る。
「美鶴ちゃんの言い分は正しいと思うわ。だから私も美鶴ちゃんには協力してあげたいと思う」
そこで言葉を切り、チラりと上目遣いで相手を見やる。
「でも、私も居場所は知らないわ」
「本当?」
「ええ、本当よ」
訝しむ美鶴の態度に腹を立てる様子もなく、綾子は淡々と答える。
「見当もつかない」
「じゃあ、どんな人だったかだけでも教えてください」
「それも、詳しくは知らないの」
グラスを両手に美鶴の傍まで戻り、腰を下ろす。アップルジュースは美鶴の前へ。水割りは膝の上に乗せ、グラスへ視線を落したまま、諭すように言葉を続ける綾子。
「私達はね、そういったプライベートには立ち入らない主義なのよ。本人が望んで曝け出すのなら聞くけど、隠すのなら深くは探らないわ」
両手でグラスを包み込む。
「大人特有の打算的な付き合い方だと思うかもしれないけど、これも人と上手に付き合っていく為の術よ」
飲みなさい、とジュースを促されるが、美鶴は腑に落ちない様子で見つめるだけ。
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